昨日、知人のはからいで山形の登山家、植松秀之さんのお宅にお邪魔させていただきました。
ヒマラヤや中国の未踏峰を登頂した隊の隊長を務めていたという植松さんのお話はとても刺激的でした。
植松さんの貴重なお話を思い出しながら、特に印象に残ったことを抜粋して楽しく書きたいと思います。
ヒマラヤという魅力
植松さんが登山を始めたのは学生時代。
その頃は怖いもの知らずで山に登り、命を落としかねないような経験をたくさんしたのだそうです。
残雪の葉山で全層雪崩に巻き込まれ、何十メートルか流された末偶然あった大木につかまって事なきを得たとか、お金がなくてハーケンが買えないから、ハーケンなしで祝瓶山に登ったところ滑落し尾てい骨を強打、血が伝って流れ込んだせいでぬるぬると滑る靴を履いて何とか自力で下山したとか。
そんな学生時代を過ごした植松さんはその後ヒマラヤに魅せられ、公務員と登山家という両方の肩書を背負い、ヒマラヤの未踏峰を制覇するために奮闘します。
ランタン・リ初登頂
最初に植松さんの隊が初登頂を果たしたのは、ランタン・ヒマール山群のランタン・リという山。
◆ランタン・ヒマール山群とは
ネパール・ヒマラヤ中央部にある山群。
中国チベット自治区との国境地帯にある。
南西から北東方向に約30kmにわたり2列になって延びている。
南側の山脈の主峰はランタン・リルン(7245m)、その北の第二の山脈の主峰はゴサインタン(シシャパンマ)(7245m)である。
この他6000~7000m峰が多く聳えている。
※標高は色々なサイトでそれぞれ違う表記になっていたのであてにならないかも
わたしはヒマラヤについての知識なんて皆無なんですけど、Google Earthでシシャパンマとランタン・リルンの文字を発見したので、たぶんこの辺りのことかな…と。
(参照:https://www.google.co.jp/intl/ja/earth/)
「いや、これ見てもなんだかさっぱりわからねえよ!」って?
それな。
◆ランタン・リとは
ランタン・ヒマール山群の(おそらく)北に位置する標高7206mの山。
1981年、日本とネパールの合同チームが初登頂を果たす。
これ…か…?
(参照:https://www.google.co.jp/intl/ja/earth/)
さてこのランタン・リですが、説明の通り1981年までは誰も登ったことのない未踏峰でした。
1981年、世界で初めて登頂に成功したのは、他でもない植松さん率いる登山隊です。
(頂いたポストカードに写るランタン・リ)
尚、植松さんはこの時隊長をつとめていたため山頂には立っていません。
全ての判断を下す隊長は登攀隊には加わらず、ベースキャンプから指示を出すのだそうです。
「隊長なんてほんとは嫌だよ~、だって登りたいもん」と植松さん。
ちなみに、この時登攀隊の長をしたのはかの有名な登山家、山田昇さんでした。
山田さん率いる登攀隊は、ランタン・リの南西稜より登頂に成功しました。
(参照:https://www.google.co.jp/intl/ja/earth/)
見るからに人を寄せ付けない稜線。
よくこんなところ登ろうなんて考えるよなあ…(笑)
マナ北西峰(シヴァ)初登頂
ランタン・リ登頂14年後の1995年には、植松さんの隊はこれまた未踏峰のマナ北西峰登頂を果たしました。
◆マナ北西峰(シヴァ)とは
インドとチベットの国境付近にある7092mの山。
マナという山の北西部にあることからその名で呼ばれていた。
しかし正式な名前はついていなかったため、1995年に初登頂した日本とインドの合同登山隊がシヴァと命名した。
参考:https://www.town.asahi.yamagata.jp/uploaded/attachment/3183.pdf
このあたりでしょうか。
(参照:https://www.google.co.jp/intl/ja/earth/)
マナ北西峰を含め、奥にあるカメット山周辺をカメット山群と呼ぶそうです。
当時は周辺が軍事上の問題から立ち入り禁止だったため、インド隊と合同で登るという条件付きで入山を許可されたといいます。
インド側のメンバーは、国境を警備するインドチベット国境警察隊の隊員で、エベレスト登山経験のある30代の若手リーダーが率いていたとか。
頂上アタックの際、トランシーバーでの通信が数日間途切れるという緊迫した場面もあったようですが、無事登頂を果たすことができました。
北東側から見ると断崖絶壁。
(参照:https://www.google.co.jp/intl/ja/earth/)
この時、富士山でのヒマラヤ遠征訓練中命を落としたメンバー2人の遺骨を山頂に埋めたといいます。
偶然にも、登頂を果たした日は亡くなった2人の月命日だったそうです。
チームの絆だったり、思いだったりが、初登頂成功を導いたのでしょうね。
感想
本当に貴重な時間でした。
はじめてお会いするのに、ご自宅にお招きしてくださるとても素敵な方でした。
山の話に花が咲き、気が付けば4時間が過ぎていてびっくりしました(大変長居してしまってすみません…)。
植松さんはちょうどわたしのおじいちゃんくらいの年齢なのですが、とってもお元気で、山形弁で楽しそうにいきいきと話すそのヒマラヤのお話にわたしも心躍りました。
びっくりしたのは、こんなにもヒマラヤという難しい山々に挑戦していらっしゃるのに、日本アルプスは全然行ったことがないということです。 理由をお伺いしたところ「とれる休みは全部ヒマラヤのために使うからだ」とのこと(笑)
ヒマラヤへの熱い思いがすごすぎる…。
植松さんのお話を聞いていて、やっぱり何か偉業を成し遂げるには「執着」というのが不可欠なんだと感じました。
でも誰でも何かに執着できるわけではなくて、それには素質とか運とか周りの環境とかが影響してくるんだろうな。
ただ、何かに執着して自分を生きた人は、絶対後になって「いい人生だった」と思えると思います。
「なにあつくなっちゃってさ」みたいに思う人は、執着して生きる人の楽しさは一生わからないんだろうな。
でも執着するにはたくさんの責任を負わなきゃいけないですし、周りの助けも必要ですから、ただ単に好き勝手やっているだけじゃ執着はできないと思うんです。
やることはちゃんとやるっていう自分の芯や、周りが自然と助けたくなるような愛嬌みたいなものを持っていないとなんだなって、植松さんを見ていて思いました。
そういう意味で、自分の好きなことをやり続ける人は強いと思います。
わたしも強い人間になりたい…。
わたしは日本の山しか登ったことがないのでヒマラヤなんて全く興味がなかったのですが、今回植松さんのお話をお聞きしたあと家で調べてみたりもして、ちょっとヒマラヤについて知れました。
「軍事上入山禁止」などの日本ではありえない問題があって、だから登れる山も登れないという海外ならではの問題についても考えさせられました。
あと、7000mとか8000mもある山がどんなものかが全然想像できなくて頭がこんがらがってしまいました(笑)
富士山でも呼吸が苦しくなったのに、そんな高い山に人間が行けるのか…?みたいな(笑)
植松さんにとっては飯豊連峰なんてお散歩みたいなもんだそうですよ(笑) 次元…(笑)
小話で、植松さんは葉山から登って朝日連峰を鶴岡まで往復縦走したそうです。
これもお散歩の一部、怖すぎる~~~~~~(/ω\)
今回、植松さんのおかげで今まで知らなかったことをたくさん知ることができました。
さすがにヒマラヤの話は次元が違いすぎて受け止めきれませんでしたが(笑)、またわたしの世界が広がりました。
世の中には本当にいろんな人がいるなあ…。
わたしたちのために時間を割いてくださった植松さん夫妻に心から感謝いたします。
わたしは、執着できるだろうか。