2日かけて上高地を散策してきました(*'▽')
今回は1日目の記録をします!
上高地について
手つかずの自然が多く残る大自然の宝庫と呼ばれていて、その美しい景観から特別名勝と特別天然記念物に認定されています。
上高地の歴史をさらっと
現在は年間120万もの人が訪れるリゾート観光地となっていますが、明治以前までは上高地に出入りするのは木こりだけでした。
明治になってからは、夏の間だけ牛や馬を放牧する上高地牧場が始まりました。
牧場は小梨平・明神・徳沢の3か所で、特に徳沢は徳沢牧場と呼ばれ、残雪の山を背景にした牛や馬の放牧の姿は訪れる登山者を楽しませました。
1940年代に入ると山岳ブームはますます過熱し、上高地観光客は増加の一途をたどりました。
県道を整備しバスやマイカーの乗り入れが頻繁になったことで、自然への影響は深刻なものとなりました。
そこで1675年からはマイカー規制を開始し、車の排気ガスの影響を最小限にとどめています。
覚えておきたいこの人たち
上高地の歴史を語るにはなくてはならない2人の存在があります。
1人はウォルター・ウェストンです。
ウェストンはイギリス人宣教師で、日本に3度長期滞在していました。
登山家でもあり、滞在中には日本アルプスを中心とした山に登り『日本アルプスの登山と散策』などを著しました。
それまで「信仰・修行としての山登り」であった日本の登山を「レジャー登山」として世に知らしめた日本近代登山の父として現在も称えられています。
ウェストンは1893年に上高地を経由して前穂高岳に登りました。
その時にウェストンを案内したのが、地元安曇村生まれの猟師である上條嘉門次(かみじょうかもんじ)です。
嘉門次は、30歳を超えるころ上高地の明神池湖畔に小屋を建て(現在の嘉門次小屋)、夏にイワナ、冬にはカモシカやクマなどを獲って生活していたといいます。
当時公式な地図がなかった北アルプスを、経験と勘で案内していたという嘉門次の名は、ウェストンの著書にも「ミスター・カモンジ」「老練なる山岳人」などと記されています。
参考:
2日間の記録
1日目
さわんどバスターミナル ー 大正池 ー 河童橋 ー 明神橋 ー 嘉門次小屋 ー 徳沢(テン泊)
2日目
徳沢 ー 明神橋 ー 河童橋 ー 上高地バスターミナル ー さわんどバスターミナル
1日目の記録
3:20 自宅 ー 5:30 さわんどバスターミナル 6:10 ー 6:30 大正池 ー 8:30 河童橋 9:10 ー 10:20 明神橋 ー 10:30 嘉門次小屋 11:05 ー 12:20 徳沢 13:10 ー 14:00 新村橋 ー 14:40 徳沢
快晴の上高地
さわんどバスターミナルへ
GWも終わりにさしかかった土曜日の早朝、相棒Mちゃんと上高地に出かけました。
Mちゃんとは去年焼岳にも登っているので、今回が2回目の上高地です。
この時は天気悪すぎて穂高も何にも見られなかったので、今回の散策はリベンジも兼ねています(笑)
目指すはさわんどバスターミナル。
松本ICで長野自動車道をおり、信号を右折してひたすらまっすぐ進みます。
早朝だったので道はすっかすか。
ストレスなく車を走らせることができました。
道は途中から細いくねくねの山道になるので嫌な感じですが、ゆっくり進めば大丈夫。
(ペーパーのわたしも頑張ってたどり着けました(笑))
市営第三駐車場(かすみ沢駐車場)に駐車。
車いっぱい。
※駐車料金は2日間で1200円でした。
さわんどにはバス停がいくつかありますが、1番大きいさわんどバスターミナルへはこの駐車場が近いです。
(参照:https://www.kamikochi.or.jp/access/sawando)
ターミナルで大正池までのバス乗車券(片道1250円)を購入して、バスを待ちました。
大正池
6:10発のバスに乗車していざ上高地へ!!
ちなみにこの早朝から乗る人は少なく、1人で2つの席を悠々と使うことができました。
(テント入った大きいザック持ってたので助かった…)
バスはいくつかのトンネルを抜けてくねくねと山道を登っていきます。
アドバイス(?)としては、進行方向に向かって左側の席に座るのが良いと思います!
左側は焼岳や穂高連峰が綺麗に見えます(^O^)
20分で大正池バス停に到着~✦
乗っている方の半分以上はここで降車しました。
◆大正池について
大正池は、1915年に焼岳が噴火し、噴出した熔岩や泥岩によって梓川がせき止められたことで1夜にしてできた池です。
当初は田代橋付近まで広がる広大な湖でしたが、100年以上経った現在は面積が半分以下にまで小さくなり、立ち枯れの木々もだいぶ減ったといいます。
一方で、梓川から流れてくる砂礫や焼岳から流れ込む土砂が毎年大量に蓄積されており、自然のままにしておけば池はいずれ埋まってしまうと言われています。
素晴らしい景観を残しておくために、毎年11月には土砂を取り除く浚渫(しゅんせつ)作業が行われています。
大正池はバス停から階段を下ってすぐのところにあるのですが、その美しさに度肝抜かれました。
この完璧な水鏡よ。
ほ、穂高~~~~~っ。
180度回転してみてもわからないんじゃないかと思うようなリフレクションでした…。
去年登った焼岳も目を見張るほどの美しさです。
息をのむってこういうことなんだって実感した(笑)
水面には若干の靄が出ていました。
朝の靄がこの池の見どころのひとつです✦
Mちゃんと穂高連峰。
この日のために買ったというかっこいい山ウェアを身につけたMちゃん素敵でしょ!(笑)
田代池・田代橋
美しい大正池を離れ、田代池に向かいました。
途中のひらけた場所からもイケメン焼岳の姿を拝むことができました。
立ち枯れの木々がまた味を出している…。
鳥の鳴き声のみが響き渡る静かな森の中を歩きます。
霧氷…?
霧氷ができる条件の1つは氷点下であることらしいから、これが霧氷だとしたらこの時は氷点下だったということか…確かに超寒かったよ。
しばらく歩くと目の前が開けて穂高が現れました。
西穂から明神岳まで綺麗に見えています✦
穂高を前に木道が左右に分かれていて、右の木道は田代池に続いています。
行ってみよう!
◆田代池について
田代池は、八右衛門沢などからの土砂によって川の流れがせき止められてできた浅い池です。
池の中にはいくつかの島があり、まるで水田地帯のような風景となっています。
日本アルプスや上高地を世界に称賛したウォルター・ウェストンは、その著書で「早朝、清々しく澄み切った中を、わたしたちはしょんぼりと梓川谷を下っていき、人影のない田代の池を通り過ぎた。鏡のような沼面は穂高の灰色の断崖と輝く雪を静かに映していた」と記しています。
どん。
うん…?池??
すごく浅いので池というよりは幅の広い川という感じでした。
霞沢岳方面が逆光でとてもきれい。
田代池からまた森の中を歩き、田代橋に向かいます。
途中の川、オレンジ色になっててなんか汚かった。
なんだろうって思って調べたけど、理由はわかりませんでした…鉄分の色??
梓川主流の色。
きらきらグリーン。
田代池から歩くこと約20分、田代橋に到着しました。
えっと、橋の写真撮り忘れました(このポンコツ野郎っ)。
田代橋からの穂高。
右岸の建物は上高地温泉ホテルと上高地ルミエスタホテルです。
どちらも歴史ある宿なので泊まってみたいなあとは思うけど、せっかくこんな大自然の中に来たのだからやっぱりテントがいいなとも思ってしまう(笑)
ウェストン碑
左岸は去年の焼岳登山の後に散策したので、過去記事参考にしてくださいまし。
何の起伏もない歩きやすい道を歩いていくと、ウェストン碑がありました!
ウェストン~~!今回の散策で見たかったもののひとつです。
◆ウェストン碑について
「楽しみとしての登山」を日本に伝えた功労者として、その栄誉を称えるとともにその喜寿を祝って日本山岳会が1937年に掲げたものです。
しかし第二次世界大戦が勃発した際、敵国となった英国人の当時の額面型レリーフはわずか5年で取り外されてしましました。
レリーフは日本山岳会に保管されていましたが、空襲により一部が焼損してしまいました。
1947年、レリーフを修復して6月14日に現地に戻されてたそうです。
以来毎年6月の第一日曜日にはウェストン祭が開催されています。
尚、現在の円形レリーフは1965年に新たに制作されたものとなっています。
山を愛し日本を愛し、そして上高地を愛した異邦人は
日本近代登山の父として
世界一と讃えたその峻険を永遠に見つめ続ける
上高地公式HPにある言葉を引用。
ウェストンがいなかったら、今の日本の登山のあり方も違っていたのかな。
河童橋
ウェストン碑から梓川をさらに遡っていくと河童橋に着きました。
わお(=゚ω゚)
焼岳、進撃の巨人感半端ない。襲われそう(笑)
橋上からの穂高なかなかのものでした✦
近くにいた素敵なおねいさんとお母様にお願いして写真を撮っていただく。
「キャンプするんですか?上の方に行くんですか?すごいですねえ!!」と言われました。
いえいえいえいえ…わたしらなんぞただのキャンプにきたビギナーハイカーなんです…目の前のあの雪をかぶったかっこいい山に登る技術なんぞこれぽちも持ち合わせていないのに「山登るぞ感」出してしまって申し訳ないです…(笑)
橋の上から何枚か写真を撮ったのですが、この写真に写り込んでる人、良く見たらスーツ着てない??
就活か?就活生なのか?上高地のホテルにでも勤めるのか????
とにかく、観光客の数がものすごかったです。
ザック背負った登山者が虐げられてた…(´Д⊂ヽ(笑)
穂高を望みながらここで牛乳入りパンを食らう。
長野県民には親しみの深い牛乳パンですが、なかでもこの八ヶ岳高原牛乳を使ったパンが最近のお気に入り。
穂高を見ながら食べるとおいしさが3倍くらいにはなります。
明神橋
この日は県警ヘリが穂高上空を何度も行き来していたけど何したのかな?
笹原に密集する木々の向こうには明神岳と穂高がずっと見えています。
ここでなんとオコジョに遭遇♡
上高地にはホンドオコジョという種類が生息しているようです。
◆ホンドオコジョについて
本種オコジョの亜種で、本州の東北地方や中部地方の山岳地帯に生息するオコジョ。
夏はお腹以外が褐色ですが、冬になるとしっぽ以外が真っ白なります。
主に肉食で、ネズミやモグラ、鳥やその卵や昆虫を捕食しますが、時には大型の野うさぎやライチョウを捕食することもあるようです。
長野県の天然記念物で、準絶滅危惧種に指定されています。
参考:
何度も道に出てきてこちらを覗いている、サービス精神旺盛なオコジョでした(笑)
明神岳方面。
ここまで来ると穂高もだいぶ見えなくなりました。
これまで順調に歩き続けていたのですが、ここでMちゃんの肩が崩壊しだします(笑)
さすがのMちゃんも初めての10㎏以上の大型ザックに悪戦苦闘しているようでした。
何度も立ち止まってはザックを下ろして休憩を入れました。
「肩以外は何の疲労もないのに…」とさらっと体力お化け発言を繰り出すMちゃん。
ザックは肩で背負うのではなく腰で背負うのだとよく言われますが、Mちゃんの場合はベルトの調節やザックの大きさが体に合っていなかったのかもしれません…。
10㎏を肩で背負うのは…無理だべ?(笑)
ちなみにわたしはいつも肩より骨盤が痛くなります(笑)
調節って難しいよね。
特に大きな重いザックは、シビアに調節する必要があります。
それでも歩みを進めれば明神館が見えてきました。
ここも上高地のお宿で、明神岳の峻険な岩肌を望むことができます。
ここで遊歩道を左にそれると梓川に架かる明神橋が見えてきました。
いやあ。明神岳すごい、落ちてきそう。
嘉門次小屋と穂高神社
明神橋を渡り、梓川右岸をちょっと下ると嘉門次小屋が見えてきます。
◆嘉門次小屋について
嘉門次小屋は1880年、上條嘉門次が32歳の時に明神池のほとりに建てたのがはじまりです。
もともとは漁師小屋で、当時の面影のある囲炉裏が現在も残っています。
囲炉裏には嘉門次の愛用した猟銃や、ウェストンが友情の印に贈ったピッケルが飾られています。
名物は、その囲炉裏でじっくりと炭火焼きされたイワナ。
遠赤外線効果で中までしっかり火が通るので、頭からしっぽまで丸ごと食べることができます。
宿泊:2019年度は宿泊営業なし
食事:8:30~16:30
売店・お土産:8:30~17:30
外来入浴:不可
まずは好きな席を確保してから券売機で食券を買って、席番号と共に受付に出すスタイル。
漁師小屋とは思えぬしっかりとしたシステムでした(笑)
そしてもちろんイワナの炭火焼きをたのみました!
本当に頭からしっぽの先までおいしくいただくことができます✦
イワナを味わいながら、将来こんなに繁盛する小屋になるなんて嘉門次さんは思ってもみなかっただろうなと、ふと考えてしまいました。
今の上高地や自分の建てた小屋を見たら、嘉門次さんはどんなにびっくりするだろうかと想像するとにやけてしまいます(笑)
こんなに大勢の人々が訪れるようになったのは嘉門次さんのおかげでもありますね。
嘉門次小屋の前には上條嘉門次のレリーフがありました。
嘉門次小屋の隣には穂高神社奥宮があります。
アルプスの総鎮守…!
これからも安全に登山ができますようにってお願いしたかったけど、人でごった返していたので、心の中で祈って遠目から見物してました(笑)
明神池は神社の奥にあるので今回はパスしました。
徳沢
さて、明神もたっぷりと堪能したのでいよいよ本日の宿泊場所、徳沢へ向かいます。
緩やかな傾斜を登っていく( ^ω^ )
Mちゃんの肩がもう限界に達しています(笑)
明神岳方面なんだけど、どれがどの山かわからない!!誰か教えてください( ノД`)
ニホンザルが大量発生していました。
(ぶれててすみません(汗))
たまに開けて断崖が目の前に現れます。
イケメンだなおい。
しばらく森の中を歩くと、徳沢ロッヂの建物が見えてきます。
それを左に曲がるとすぐに徳沢のテン場があります✦
徳沢園着いた~!
ここでテン場の受付をして、テントを張る場所を探しました。
ちなみにこの時点でMちゃんの肩はぶち壊れ、Mちゃんは「ザックおろして良い?」しか口を開かなくなっていました(爆笑)
◆氷壁の宿 徳沢園について
昭和の初め牧場だった徳沢の番小屋として使っていた建物が山小屋となりました。
現在の徳沢園は山小屋という概念を覆すおしゃれなプライベート空間があるという評判の小屋です。
ハチの巣からヒントを得たというカプセルホテル風の相部屋は、どれも遊び心のあるわくわくの空間になっています。
徳沢キャンプ場から望む前穂高岳の東壁はこの小説の舞台となっています。
氷壁読んでみたいな。
それはそうと、テン場激込み( ゚Д゚)
う~むどこにテント張ろう…。
結局端に追いやられ、かろうじて空いていたトイレの近くに張りました(笑)
ま、いつでもトイレいけるからいっか!(笑)
新村橋
徳沢でザックを下ろしたMちゃんが元気を取り戻したので(笑)、横尾方面にさらに足をのばしてみることにしました。
途中分かれ道があって、はじめに左の方へ行ってみました。
うわ、すごい…。
穂高の東壁。
で~っか!!(; ・`д・´)
これを登るのはだいぶ大変だな、と、思いました(笑)
お?この奥のピークが前穂かや…?
その左が3本槍…?(てきとう。)
さて、分岐まで戻って今度は横尾方面に行きました。
さすがに雪多くなってきました。
倒木の根に張り付いている岩々。
程なくして新村橋に到着しました!
なんという絶景…。
橋を渡ります。
注意書きで「100m以上開けて渡ること」とありました。
橋の向こう側でおやつを食べて休憩しました。
途中バックカントリースキーを背負った男性が2人下りてきて挨拶をしました。
スキー背負って登るの大変そうだなあ。
徳沢でテント泊
新村橋から徳沢に戻り、しばらくテントでだらだらしてからご飯にすることに。
テントの前室でお米を炊くよ(/・ω・)/
しゅんしゅんしゅん♪ 湯気がぽわぽわ出ているのを眺めているだけで癒されます(*'ω'*)
お米は水につけておいたので、30分もしないくらいで炊けました。
じゃ~ん✦ 安定のサバの味噌煮入り!
種類は少ないけど、激うまだよ( ˘ω˘ )
テン泊の醍醐味のひとつ。
太陽の沈みゆくテン場で、まったりご飯を食べながらまったりお話をする時間最高。
日中はとても晴れて暖かかったのですが、日が沈むと一気に気温が下がりました。
シュラフは夏用のしか持っていなかったので2枚重ねにしてその上からシュラフカバーをかけて眠りました(笑)
フリースも着込んでいるのに、それでもぬくぬくあったかとまではいきません(笑)
冬に3000m稜線の雪上にテント張る人まじで尊敬する。
夜は満天の星空が広がっていましたが、三脚を持っていなかったので写真は撮れませんでした。
テン場の写真も手持ちではこれが限界(笑)
もはや何の写真かわからない。
徳沢のテン場は、普段は登山の起点として登山客が利用することが多いかなと思うんですが、GWはキャンプ目的の方が圧倒的に多く、小さな子ども連れもいてとても騒がしかったです(笑)
夜なんて「おま、それはわざとだろ」ってくらいテントにライトを当ててくる人たちが沢山いてびっくりしました。
山のテン場は18:00を過ぎるとみんな周りに気を遣って静かにするんですが、今回は夜までずっとうるさかったです(笑)
まあ、次の日は別に早く起きる予定もなかったのでわたしたちは何の問題もなかったのですがね!
とにかく、上高地を散策しまくって大満足の1日でした!
2日目に続く…
反省
シュラフ2枚持って行って良かったって心の底から思いました(笑)
ただ、足の指先が冷たいのでもこもこ靴下みたいなのがあると良かったです。
Mちゃんは夜寒くて何度も起きたようで、最終的にホッカイロを貼って寝たみたいです。
寒さの耐性って人それぞれなので一概には言えませんが、GW徳沢でキャンプするには夏用シュラフ1枚じゃ無理だなって思いました(笑)
感想
晴れて良かったの一言です!!
前回は見られなかった景色全てを見ることができました。
言わずもがな人の多さは半端じゃなかったけど、駐車場には車をとめられたし、バスにも乗れたし、テントも張れたので何の問題もなしです!
シュラフ2枚や防寒着、食料などを持ち込んだので久しぶりに重たいザックを背負いました。
道は比較的平坦なので2日間通してそこまで疲れませんでしたが、ベルトの締め方や歩き方などを忘れていたので、夏に向けた良い練習にもなったと思います。
最近気になるのは靴擦れで、毎回必ずかかとの皮がむけます…。
今回も擦れてしまいました。
夏に何泊もかけて縦走するときがちょっと心配です( ノД`)
上高地は観光地なので、トイレもきれいだし道も広いし案内も沢山あってとても歩きやすかったです。
こんなに楽に来れるのにこんな絶景を拝めちゃう上高地はわたしも大好きになりました!!