長野県富士見町の稗之底古村を散策してきました。
稗之底村とは
稗之底村(ひえのそこむら)は、長野県諏訪郡富士見町にある古村跡です。
入口に立っているこの看板に詳しく記載されていました。
以下看板の抜粋です。
稗之底村は、境方(さかいがた)十八ヶ村に数えられる古村であった。僅かな田畑を耕して生計を立てていたが、ついにこの地を捨てて去らざるを得なくなった。
稗之底村を放棄した村人が立沢村・乙事村に移住したことは、書面に明らかである。
こんにち跡地は埋もれ、特定するのは困難であるが、大先神社・屋敷平・稗之底の地名を残している。
村人たちが村を出る苦しい状況は後の文書で明らかになっているようで、
右稗之底村ノ儀、八ヶ嶽下ニテ地所至ッテ寒ク、作毛生イ立チ兼ネ、其ノ上野山刈リ尽クシ渡世難儀仕リ…
と書いてあります。
標高1200mある八ヶ岳山麓の極寒気候での生活は厳しく、田畑は不毛の地となり、その上野山も刈りつくしてしまい、もう生活することができないという厳しい状況がうかがえます。
確実に存在していたはずなのに、文献にはほとんど残っていないというミステリー…。
村跡地は散策コースがあり、コースタイム2時間ほどで一周できるようになっています。(下記URL参照)
参考:
http://www.town.fujimi.lg.jp/kanko/walking_03.html
小学生ぶりの稗之底
今日は車を自由に使える日だったので八ヶ岳を撮りに弟とドライブに出かけたのですが、弟が稗之底村をごり押ししてきたので2人で散策することになりました。
今回は廃村跡の立札がある入口に車をとめました。
(参照:http://www.town.fujimi.lg.jp/kanko/walking_03.html)
ここには車1台ほどの駐車スペースがありますが、途中の砂利道はすれ違いができないほど細いので要注意(*´ω`)
鹿よけの電気柵を抜けるときれいな道が続いていました。
道は小川に沿っています。
途中廃村跡の看板がありました。
これに従って小川を渡ってみました。
これが古村跡です。
ここで小学生の記憶がよみがえる…。
小学1年か2年の時に学校の課外活動で遊びに(学びに)来たんですよね。
なぜかこの古村跡だけ妙に記憶に残っています。
その時は歴史なんて全くお構いなしで、水遊びに夢中だったんですけどね(笑)
澄んだ水が苔の間を流れていきます。
かつて村があったとは思えないほど自然です。
全てが埋まってしまったなんて悲しい。
川遊びをする18歳男性の図。
古村跡からまた道に戻って先に進んでみました。
超絶変な木。
神社ののぼりを立てる幟枠石(のぼりわくいし)がありました。
大先神社と思われます。
奥にある斜面に作られた石の階段を登ってみました。
\ジンジャ/
わたしの適当なネットサーフィンで調べたところによると、祠のいずれかが十五社神社でもう一方が大前神社だという説が濃厚のようです。
十五社明神は稗之底村の鎮守(土地を守る神)で、大前神社が稗之底村の氏神であり水神でもあるのだそうです。
真ん中にある岩は磐座ですが、大前神社のものと思われます。
参考:http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/jinja/hie2.htm
廃村の氏神祀ってる神社とかめちゃ怖くない??????
それに、じゃあ大先神社はどこぞへ?という疑問が…。
その近くにはびっくりするほどの大木たち。
また道に戻り先に進みます。
神社の下も水が湧いていました。
川を川と一緒に渡る。
そういえば、川が川を渡るところ沢山ありましたが。
どうしてわざわざ流れを分けるのか不思議。
別荘が見えたあたりで引き返しました。
この川は魚がいそうで良い。
素敵な森でした。
感想
廃村跡なのでなんだか悲しい気持ちもしましたが、人がいなくてのどかな散策が楽しめました。
文献がほとんど残っていないためにその歴史や文化を正確に知ることは難しいと思いますが、そのミステリーさもなんだかわくわくしてしまいます。
稗之底を回るハイキング道は結構長く続いているみたいなので、また暇な時に出かけてみたいと思いました。そのためにも、謎多き稗之底村についてもう少し調べてみようと思います。