裏銀座縦走の2日目の記録です。
かなり長いので適宜読み飛ばしてくださいまし…。
4日間全体の日程、裏銀座について、1日目の記録は下記の記事に掲載しました。
2日目の山行記録
3:30 起床 ― 4:00 朝食 ― 5:10 出発 ― 8:10 野口五郎小屋 ― 12:05 水晶小屋 12:15 ― 13:00 岩苔乗越 ― 14:10 雲ノ平との分岐 14:20 ― 15:00 三俣山荘 ― 17:30 夕ご飯 ― 20:00 就寝 ― 24:00 雷雨により山小屋に避難 ― 24:30 テントに戻る ― 25:00 就寝
裏銀座縦走2日目
朝
2日目の朝は、テントの外で砂利を踏む誰かさんの足音で起床。
目冷まし時計がなる10分前でした。誰かさんナイス!
起きてすぐに耳に入ってきたのが、頭上で鳴るものすごい風の音。
幸い烏帽子小屋のテン場は木々の間だったため、テント自体は風の影響を受けていませんでした。
朝食はフルグラ。粉ミルクを溶かして牛乳代わりにしました。
うわー、食欲ない(笑) でもカロリーは取らなければいけないので嫌でも食べる(;^ω^)
そしてなんか色々やっていたら、3:30に起床したのに5:00出発になってしまいました(笑)
準備が遅すぎる。
烏帽子小屋から水晶小屋
テントを畳んで三ツ岳に向かって出発!
この日の山行が想像以上の過酷なものになるとはこの時知る由もなかったのです…。
三ツ岳への稜線を歩いているときに日が出てきました。
赤い…。
雲の海、霞む山。
綿がひとつ。
山も赤い。これがモルゲンロートっていうやつか。
昨日登った烏帽子岳にも日が差しました。おはよ~。
ここを歩いていきます。
ぽっかりと浮かんだのはレンズ雲。
昨日に引き続きぽこぽこといくつか浮かんでいました。いやな予感…。
光芒。
鳥がいました。君の名は?
どんどん進むと野口五郎岳が現れました。
遠いなあ。
でかいなあ。
三ツ岳山頂はトラバース。お花畑コースを歩きました。
穏やかな傾斜で、花はほとんど終わっていましたがとても気持ちよく歩けました。
チングルマ。沢山ありました。
野口五郎岳への稜線です。ここから西風がどんどん強くなっていきました。
歩けないほどではないですが、歩くのが困難という感じでしょうか、ものすごい風でした。
そんな中でもハイマツ帯にライチョウの群れに出会いました!
クゥクゥ鳴いてかわいい…。
何を見ているの?
しばらく観察した後、ライチョウにさようならを言ってひたすら野口五郎小屋を目指しました。
しかし小屋に近づくにつれて、荒れ狂う風がどんどん威力を増していきました。
太陽は出ているし濡れているわけではないので寒くはないのですが、こんな強風に出会ったことはなかったのでものすごく怖かった…。
気を抜くと、体がふわっと浮いてしまうのではないかというくらいで、必死に耐えようとしました。
しかしあまりの風に尾根の真ん中に座り込まざるを得なくなりました。
立ち上がろうとすると風に押し返され、よろめいてしまいます。
おそらくはこの時風速30mを超える瞬間があったのではないかと…。
とにかくやばかった。
風と風の間に小休止みたいなのがあって、そこで一気に立ちあがってからもう何としてでも座り込むまいと決めてひたすら強風に耐えながら野口五郎小屋に向かいました。
青い屋根の小屋が見えた時は心の底から助かった〜と思いました(泣)
今写真を見返すと、野口五郎小屋ってめっちゃ素敵な小屋だな…(この時はそんなこと考えてる余裕なかった)。
小屋の前のベンチで風をしのぎながら、食べるもの食べて飲むもの飲んでエネルギーチャージ。
ここで撤退するか悩んだけど、天気が良いこと、この後の稜線は東斜面であること、今朝一緒に出てきた他のパーティは皆進んでいったことから、私たちも山行を続けることにしました。
いやほんとに、雨が降ってなかったのは幸いでした。
口の中に氷砂糖を2粒入れて出発。
稜線に出ると、また猛烈な西風に襲われました。
まともに風を受ければ息ができない…氷砂糖が口の中に入っているせいで余計息がしにくいのに気づき、出発前に口にモノを入れた自分に悪態をつきながら急いでかみ砕きました(笑)
どうでもいいんですけど、氷砂糖は登山に最高ですよ!甘くて元気が出ます☆
休憩(笑)
風に吹かれると体力消耗しますね…。
こうやって寝っ転がってると、遥か上空から聞こえてくるヒューヒューという風の音とか、爆風が山にぶつかって立てる音とか、細かい風が聴こえてきて自然の猛威を身に染みて感じました。
こんな恐ろしいほどの暴風なのに、山はそんなの微塵も感じないふうにいつもと変わらずたたずんでいて、それと対比された私たち人間の弱さを感じて、なんか自分の無力さを実感した(笑)
風に吹かれて揺れているハイマツに嘲笑されてるようにさえ感じました(泣)
山は変わらず威風堂々。
強風に耐えながら進み続けると、遠くの稜線に乗っかる水晶小屋が見えました。
ズームで撮影。
とにかくあそこにたどり着くのだ…!
眼下には何十万年何百万年という地球の歴史が作り出した壮大なカール地形。
パワーをもらいます。
野口五郎岳の斜面を下ると東沢乗越に到着しました。
しかしこれから登る水晶小屋への登山道が見えてきて不安になりました。
こんな切り立ったところで風に吹かれたらやばい…。
水晶方面からやってきた方々に、向こうは風強いですか?など尋ねて情報収集。
どうやら、危険なほどではないとのことでした。
少しほっとする。
確かに、足を進めていると風はだいぶおさまってきました。
やはり水晶小屋への稜線は東斜面になるので、西風はさえぎられるようです。
風がおさまると心に余裕が出てきます( ^ω^ )
赤い岩たちかっこいいな〜。
しかしこの水晶小屋への稜線がかなりきつかった!
急斜面この上なく、ヒーヒー言いながら登りました(笑)
そしておさまった風と引き換えに若干雨が降ってきて、たまーに遠くの方で雷がゴロゴロ言っています。
なんてこったい!!早く水晶小屋にたどり着きたい…( ;∀;)
最後の急登を亀のスピードで登り切ったら水晶小屋がありました。
(写真の傾き具合が余裕のなさを物語っている…)
◆水晶小屋について
現在の建物は2007年に再建。木造2階建て。
現在の水晶小屋は5代目で、初代の小屋は戦前から猟師小屋として同じ場所にあったのだとか。戦時中に初代の小屋はなくなってしまい、1954年から登山者のための小屋として建築を開始しました。
恐ろしいのが、2代目3代目の小屋は台風で飛ばされてしまったということ。4代目はプレハブで急いで作って、45年間使われたんだそうです。
北アで最も小さい営業小屋の1つだそうで、この小規模感もたまらなく良い。
小屋のすぐ近くにある水晶岳周辺は、北アの中でも屈指の風の難所といわれています。風速30mなんてザラに吹くんだとか…。
戦前の水晶小屋は、風によって夜中に人間ごと50センチも動いたことがあるという記録もあります。1959年には、せっかく外郭の出来上がった小屋が、台風15号によって吹き飛ばされ、空中分解して、1番近くの残骸でも200m、遠いものは東沢の流れにまで飛ばされていたそうです。小屋は風速40mくらいの風ではびくともしないように作られていたから、6、70mの風が吹いたに違いないとのこと(伊藤正一(2017)『黒部の山賊』山と渓谷社)。
まあ、簡潔にまとめると、頭おかしいくらい風が吹く場所ということですね。
<基本情報>
収容人数:約30人
開設時期:およそ7月~9月
素泊まり:6200円
テント場:なし
参考:水晶小屋のご紹介 | 山小屋の機能と役割 | 黒部源流 雲ノ平
さて、水晶小屋まで来るとそれまで山に遮られていた西風が一気に吹き付けてきました。
しかも降りやまぬ雨雨雨雨雨!!!
こんなの過酷でしかないよー(泣)
疲れていて休みたかったのですが、まったりベンチに座ってられる状況ではなくて、トイレを済ませ行動食を口にして、すぐに出発しました。
ちなみに水晶小屋のトイレはとても綺麗でびっくりしました!
バイオトイレらしいです。
水晶小屋から三俣山荘
水晶小屋からは西側の斜面を岩苔乗越まで下ります。
これが過酷だった…。
猛烈な勢いで襲って来る風に乗っかってきた大きな雨粒が、レインウェアやらザックカバーやら露出した顔やらにこれでもかというほどぶち当たってくるんです。
痛い。そして寒い(涙)
というわけで、ここから岩苔乗越までの写真は一切ありません(笑)
ただひたすらに耐えながら前進あるのみ(げっそり)。
しかし小股の1歩でも確実に歩みを進めていれば、目的地には必ずたどり着くもの。
ほらね、乗越に着きました(*'ω'*)
さらに雨風が止みました!!天はまだ味方してくれているではないか!
しかしまあ急いで下ってきたから疲れました…。
よしよし、ここから黒部源流まで40分だ、頑張ろう、と気合を入れなおします。
乗越からは黒部源流に一気に落っこちます。
水晶小屋まであんなに苦労して登ったのに、これでもかというくらい下ります。
本当に本当にきつかった…(笑)
足の裏が死ぬほど痛い……足の裏の骨が折れそうでした。
ねえまだ下るんですかーーーーー!\教えておじいさん!/
この先三俣山荘まで一切写真がございません(きつすぎた、きつすぎた、きつすぎた)。
途中雲ノ平との分岐があって、黒部源流の碑がありました。
でも、その時の私は死んでいたので「ああ、黒部の源流ね……ところで三俣山荘はまだ着かないの?」って感じでした。
ばっきゃろーーーーーーう!!
あんなにあこがれた黒部の源流、雲ノ平、夢にまで見た場所なのに!!!!
今になってものすごい後悔しているので、絶対にもう一度行きます。
体力つけてリベンジしたる~(泣)
しかも、岩苔乗越から黒部の源流までコースタイムの倍近い1時間10分もかかりました。
一緒に下ってきたパーティが2、3ありましたが、大体同じくらいに山荘に着いたので、絶対コースタイムがおかしいヨ…(泣)
……コースタイム40分????ツワモノすぎる…。
しかも、黒部の源流まで一生懸命下ったのにまた三俣山荘まで登り返す、ひどい仕打ちです。殺しにきているとしか思えない(笑)
白目向いて死ぬ思いで三俣山荘に到着しました(笑)
もう何も考えられない、早く寝たい(笑)
◆三俣山荘につて
1926年に建設されて、1947年に再建されました。
三俣山荘はまさに『黒部の山賊』の中心舞台。北アの最奥部であり、北アの心臓です。
地下水が湧き出ているため、水は飲み放題。めちゃくちゃおいしいです。
晴れていれば絶景を拝める、はず(私は拝めなかった)。
この小屋も立派な歴史があって、この素敵な稜線の上で何年も登山者を迎えてきたんだと思うと感動してしまいます。
テン場もく、水場が近くて便利でした。ちょっと山小屋から遠いのがアレだけど…。
<基本情報>
収容人数:約80人
開設時期:およそ7月~10月
素泊まり:6000円
テント泊:1000円/人
テント設営数:約70張
参考:三俣山荘 | 北アルプス黒部源流 | 三俣山荘・雲ノ平山荘・水晶小屋
最後の力を振り絞ってテントをたてました。
この日の天気予報が最悪だったので当たり前かもしれませんが、テン場はかなり空いていました。
夕ご飯は和食
本日の夕ご飯は海苔巻き、なめこの味噌汁です。
疲れすぎてあんまり食欲ないねって。
(あ、そういえば昼食はお餅を焼いてしょうゆをつけて食べました。)
昼間の雨のせいでエアマットが濡れてしまいました。
寝袋は防水のスタッフバックを使っていたからノーダメージだったのだけど(まじでよかった…)、エアマットは盲点だった。
教訓は、ザックカバーを信じるな。
あれだけの風だとザックカバーは吹き飛ばされる勢いではためくので、雨はザック内にどうしても浸入してしまいます。
当たり前だけどザックの中身は防水バックに小分けで入れるべし…。
予備靴紐をテント内に何とか結び(練習した結びの中で唯一覚えていた、でも名前は忘れた)をしてべしょ濡れの布たちを干しました。
外天気悪いのでそんなに乾くの期待できませんが…。
テン場の周りは川だらけです。
晴れたらさ、三俣蓮華が綺麗に見えるんですよね、わかりますわかります( ・´ー・`)
選ばれたのは炭酸でした。
泣く子も黙る稜線の雷
へとへとに疲れて8:30頃寝袋に入りました。
あ~秒で寝れるわ~と、寝袋の中でぬくぬくうとうとしていたのですが、
山の神はまだ私たちを休ませてはくれなかった。
もともとパラパラとふっていた雨が次第にザーザーに変わっていきました。
ただの雨なら、まあうるさいなあ程度で終わるんでしょうけど、この雨はちょっと尋常じゃなかった。
降るわ降るわもう降るわ。
しかもまた風が出てきて、テントを揺らします。
「まだ眠らせないぞ」と言っているみたい…。
しかもそれだけじゃない、あいつが……あいつがやってきたんです………!!
全登山者の敵、雷。
最初はすごく遠くのほうで控えめにコロコロいっていたあいつは、次第に空を光らせるようになりました。
約1秒に1回光る空に、もう不安で寝れたもんじゃない。
とにかく祈る他なくて、「こっち来るなよ~来るなよ~(フリじゃないからな~)」って感じでした。
しかしこれが、結果的にフリになってしまった。
たまにピカピカ控えめに光るだけの中に、ぺか!!とものすごい光量を出して、数秒後にガラガラと大地を揺らす雷が混じってきました。
この時のわたしの心境:「あー、終わったわ。」
初めは光ってから10数秒経って聞こえてきた音が、8秒、6秒とどんどん近づいてきます。
次は何秒だ、あっち行ってくれ頼む、とアーメンしてたその時、ぺか!!!!っとものすごい光って、かなり近くでどかーーーーん!!と、落ちました。
地面が、地面が揺れた(゜.゜)
これはねー、脳内パニックですよ(笑)
それまで渋っていた山小屋避難を一瞬で決意しました。
必要な荷物を持ってとにかく一目散に山小屋へ(笑) たすけて…。
この避難が24:00頃。
山小屋の窓から、光っては大地を揺るがす雷をボケっと眺めてたっけ。
途中でもう1パーティ、テン場から避難してきました。
山小屋の宿泊者に迷惑かけてはいけないので、真っ暗闇の玄関で縮こまって息を殺して経過をひたすらに待つ感じでした。
でも、他のテン泊者は避難してこなかったのですごいなあと思いました。
私はビビり中のビビりなので何事にも動じてしまうから。根性見習いたい。
30分経ってまあおさまったかな?ということでテントに戻りました。
まあ本当はまだおさまってなかったのですが。
寝袋に入ってからもかなりガラガラ言ってました。
でも本当にへとへとに疲れていたし、ほかのテン泊者がすごく平気そうにしているので、これは大丈夫な雷の部類なのかなと思った途端に眠気が勝って、自分でもびっくりまさかの爆睡。
2時頃にかなりやばめの雷が落ちて、横にいるお父さんが「やばかったね」と話しかけてもわたしは無反応だったそうです(笑)
もしかしてわたしって意外と神経図太い…??
わたしの記憶だと、テントに帰ってきて1:00頃瞼を閉じて、開けたら3:00だったんだよなあ…。
瞬きしたら2時間経ってたんだよなあ…。疲れって怖い。
こんな感じで、日付を超えてやっと2日目が終わったわけです。
長かった。長すぎた。
文章も長かった(笑)
最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。
3日目に続きます…。
反省
「濡れ」に対する対策が甘かったことです。
正直ここまで暴風雨にあったことが無かったので、結構甘く見てたと思います。
本を読んだり、話に聞いたりして頭ではわかっていたのですが、こういうのは実際に経験しないと恐ろしさは絶対にわからないですね。
シュラフが濡れなかったのは本当に助かった…。一度濡れたら晴れない限り100%乾くことはないので、肝に銘じて、今度からは濡れ対策を厳重にしていこうと思います。
あとは食に関すること。
疲れると食欲がなくなって全然食べられない…。
こういう時は一口で何十kcalとれるものとか、タブレットとかが必要だなって思いました。
あとはテントマットを持ってこなかったこと。
これは一概に持って行かなくてはいけないとは言えないかもしれないのですが(荷物になるので)、今回みたいに土砂降りされたらテントがプールになります…。テントマットはあったら良かったなと思いました。
それから雷の時に山小屋避難したことも反省点に含まれてしまうのかな…。
やっぱりテント泊と決めていくからには、山小屋を頼りにしないことが基本だと思うので。ほとんどの人は避難していなかったし…。でも難しいですね、この辺りの判断は。助かればいいのかね。
あとは、ビニール袋が足りなかったこと。3袋くらい持って行ったはずだけど濡れたやつとか入れるのに全然足りなかったな〜。縦走では沢山持って行ったほうがいいと思いました。
感想
きつかった。
この日はスマホの万歩計が33000歩になっていました。平地でもこんなに歩くの辛いのになw
そして、北アの本気を垣間見ることができていい経験したなと感じました。
こわい目に合わないと、安全対策の意味は絶対に理解できないんだなと思いました。
もっと慎重に計画を立てて、もっと慎重に考えて、もっと慎重に歩こうと決めました。
怖くて辛くて大変な山行だったけど、穏やかでない方の北アの顔を見られたし、教訓にもなったし、得られたことはたっくさんでした。
それでも何より、憧れの地を歩いたこと、先人の築き上げた登山道を辿ったこと、歴史ある山小屋を訪れたこと、北アの心臓の鼓動を感じたことが本当に嬉しかった。
きつかったんだけど来なきゃ良かったとは全然思ってなくて、酷い目にあったのにそう思わない自分自身にびっくりしたし…あらゆる意味で自分の自信になったなと思いました。
どあーー!また行きたい、また行きたい!!きっとまた行くんだろうな(笑)