こんにちは。
相変わらず山に行けない日々が続いているので、ブログもお久しぶりになってしまいました。
何か書きたいな~と思って考えてみたのですが、最近の「お家時間」で読んでいる人も多いだろう本について書こうと決めました。
今日は、現在わたしの手元にある山に関する本を、まとめを兼ねてご紹介したいと思います✦
※一部ネタバレありです。
山岳小説
はじめに、お話の舞台が山である小説をご紹介します。
黒部の太陽
黒部ダム建設工事の当事者たちの苦闘を描いたお話です。
徹底的な取材に基づいて書かれたノンフィクションノベル。
飛騨山脈の奥深くに人工のダムを造るのがどういうことなのか、その大変さが良くわかる本だと思います。
大自然を切り開いてのダム建設に対しては賛否両論あるかと思いますが、あの一大観光名所でもある黒部ダムがいかにして造られたのか、知識として持っておくことは大切だと感じました。
この一節が特に印象的でした。
『黒部には、怪我はない』
そいういう言葉がある。日電歩道にしても、一歩踏みはずせば何十メートル、何百メートルと言った垂直の断崖で、助かる見込みは万に一つもない。つまり、黒部の谷では事故とは『死』の意味であって、中途半端な怪我などはない、ということなのだ。
孤高の人
山岳小説の名著ですね。
加藤文太郎という戦前に活躍した登山家の生涯を描いた作品です。
史実を踏まえて書かれてはいますが、物語として成立させるためのフィクションも多く混じっています。
新田次郎は登山の描写はもちろん素晴らしいのですが、それよりも人間の汚いところを書くのが上手いと個人的に思います。
読んでいて、つい、「なんだよこいつめ…」と思ってしまうような嫌味な人間が登場するのが、新田次郎の作品の特徴の1つだと思っています。
この作品でも主人公加藤を取り巻く様々な人間関係の困難が描かれていて、そんな下界での生活とは対照的に、山中の加藤は自由にのびのびと描かれているところが印象的です。
作中の加藤が生まれて初めての北ア山行で燕~槍まで歩くシーンの描写がとても好きです。
故郷で見た空の色も、神戸で見ている空の色もこのように澄んではいなかった。海の上の空は、どこかにやわらかみがあった。青さの中に白さがとけこんだ色だったが、ここで見る空の青さは、むしろ黒色に近い感覚で読み取られた。白くとけこんだ、水蒸気のやさしさはなく、暗黒の宇宙へ続くきびしさだけが感じられた。
槍ヶ岳開山
北アルプスのシンボルであり、現代でも全登山者の憧れ的存在の槍ヶ岳を開山した播隆上人というお坊さんの物語です。
播隆上人が槍ヶ岳を開山するまでの物語が、史実に基づいたフィクションとして描かれています。
下界での播隆上人の苦悩も多く描かれていますが、槍ヶ岳登攀シーンは安定の新田次郎流描写という感じで、とても臨場感がありました。
播隆は、足場を探した。三度ほど、足場を変え、そしてしっかりした手掛りをつかむと、身体はずっと楽になった。彼は、片手で、締めつけられている腰の綱をゆるめようとした。そのとき彼は、両方の手の肘にかなりひどい擦過傷を受けていることに気がついた。痛みの次に寒さを感じた。ひどく冷たい風が吹いているなと思った。
腰の綱をゆるめると、生きていることをはっきり感じた。
聖職の碑
1913年に実際に起きた木曽駒ヶ岳大量遭難事故の全容を、事実に基づいて書いた小説です。
実際にあった遭難事故ということで読んでいてとても痛ましいです。
学校登山がどうあるべきなのかなど、とても勉強になりました。
いつか木曽駒を伊那側から登って、聖職の碑に手を合わせたいと思っています。
「よっく見るのだ。眼で見えなければ心眼で見ろ。あの雲の中には、雷獣がいるぞ、かみなりのけものと書いて雷獣と読むのだ。雷獣は一匹や二匹ではない何匹もいる。その雷獣が雲の中で、鬼ごっこをすると雷になる。だが、もし雷獣が喧嘩を始めたら嵐になるのだ。それも尋常一様な嵐ではない。すごい嵐だ。丸一日は暴風雨になって、荒れ廻るのだ」
ようく見ろよ。その雷獣が数十匹あの雲の中に居るぞ、と老人は云った。
銀嶺の人
女性登山家である今井通子さんと若山美子さんがモデルとなっている物語です。
こちらもフィクションですが事実に基づいて書かれています。
女性クライマーが岩壁登攀において活躍する姿は爽快です。
小説とはいえ、たくさんの勇気をもらった一冊でした。
やっぱり登攀シーンがかっこいいです。
岩壁から氷雪の急斜面に出たところで、淑子はアイゼンをつけた。ザイルは左へ左へと氷雪の岩壁を回りこんで行った。
突然目の上に庇が見えた。その上は灰色の空間だった。
(頂上の雪庇の下に出たのだ)
胸が鳴った。ザイルはその雪庇の下に吸い込まれるように消えていた。
蒼氷
富士山頂気象観測所に勤める主人公を取り巻く人間関係と、主人公の富士山頂での生活の物語。
著者である新田次郎自身が富士山頂に勤めていたことがあったためか、富士山における生活や自然現象の描写がとてもリアルです。
4000m近い独立峰の想像を絶するような激しい気象を、小説を通してまるで本当に体験したような気分になりました。
お気に入りはラストのシーン。
守屋は額に汗をかいていた。夜着ぶとんが重すぎるのかも知れない。小宮は上の一枚を剥いでやった。守屋は眼を開いて小宮の顔を探るように見上げた。理子の来たことを言おうか、言うまいか、小宮の口元が妙な動き方をした。
「誰か来たか?」
守屋は静かに言った。疲労しきった守屋の頭の中で暴風雪がもの凄い轟音を立てて、渦を巻いていた。その中に理子達の来た自動車の音も入っていた。
「ええ、あのお嬢さんが、そうだあの台風の前にきたあの女が…守屋さんに会いたいと言っているが…」
守屋はそれには答えずに眼を閉じた。
「どうしずか守屋さん…」
すると守屋は眼をつむったまま静かに答えた。
「あの錆びたピッケルはもう僕には要らなくなった。理子さんに返してくれ…」
疲労凍死
『蒼氷・神々の岩壁』に併録されている1編です。
八ヶ岳で疲労凍死した弟の死の真相を明らかにすべく、兄岩畑が奮闘する物語。
…内容はもはやホラーでした。
人間の嫌なところが沢山描かれているので新田次郎っぽいなと思います。
寝る前に読むのはあまりおすすめしないです。(笑)
「遺書だ」
と彼は思わず叫んだ。はじかれたように、囲炉裏端にいた牧月と奈津子が立ち上がって背後からノートを覗きこんだ。誰にも読めない字だった。鉛筆の濃淡は鮮明だった。なにかを書こうとして鉛筆に力を入れていることだけは明らかだった。四人はその字を見つめたままおし黙っていた。
怪獣
こちらも『蒼氷・神々の岩壁』に併録されている1編。
ひとりの初老の男が、山中で怪獣に逢う不思議なお話です。
短編なのでさらりと読めます。
ちょっと背筋がぞくっとするような場面が楽しめますよ。
そうつぶやきながらまわれ右をすると、目の前の石の上に小猫くらいの動物が腰をすえて彼を睨んでいた。小猫ではないことは一目で分かったが、人間を見つめたまま逃げないところはどこか猫に似た図々しさがあった。つんと立った耳の先がわずかに垂れていた。せいぜい二十センチほどもあろうかと思われる小さな身体にくらべて立てた前足は太くてがんじょうに見えた。彼の方に向けている腹は雪のように白かった。
神々の岩壁
登山家の南博人がモデルとなっているお話です。
南が1959年に谷川岳一ノ倉沢衝立岩正面岩壁を初登攀した実話を、物語として描いています。
舞台が国内なので、わたし自身はやらない岩壁登攀も、なんとなくイメージがついて読みやすかったです。
天才クライマーと呼ばれた南博人が正面岩壁と闘う姿はとても印象的でした。
「こんちくしょうめ」
それからの南の頭には、岩壁に対する、憎しみだけがあった。彼を突きおとして、痛い目に合わせた岩壁をいかなることがあろうとも征服せずには置かない闘志だけがあった。水のことは考えなかった。藤はトップの南の行動に異常を感じた。下から見ていると、気が狂ったかと思われるくらいの力み方だった。
氷壁
1955年に実際に起きた、ナイロンザイル事件を基にして書かれた小説です。
実際の事件は学生登山での出来事でしたが、作中での当事者は2人の社会人とういう設定になっています。
はじめの登攀シーンに引きずり込まれるようにして読み始めました。
内容は山よりもどちらかというと下界での人間関係云々というのが中心ですが、登攀描写はとてもリアルで読んでいてどきどきしてしまいます。
読む前からわかり切っていましたが、ラストのシーンがやっぱり切なかったです…。
「きれいでしょう」
幸さんは足を停める度に言った。かおるには初めて眼にする穂高の白くすさまじい姿が雄大には見えたが、美しくは見えなかった。大自然の中の人間がひどく小さく思われ、それがかおるのいま持っている不安を、刻々色濃いものにしつつあった。
単独行者(アラインゲンガー)
加藤文太郎がモデルとなっている物語です。
加藤の生涯をリアルに寄せて追いながらも、物語らしくアレンジが施されているという点では新田次郎の『孤高の人』と同様なため、よく比較されている作品です。
『孤高の人』に描かれる加藤が伝説の人・フィクションの人という印象を与えるのに対して、この作中での加藤は、自然に対して恐怖や畏怖を抱く人間味のある人物として描かれている印象を受けます。
わたしは言葉の遣い方や自然の描写などはやはり新田次郎に軍配が上がると思いますが、話の構成的にはこちらの作品の方が面白いなと感じました。
主人公の加藤文太郎が吉田登美久と山中で運命の出会いをするシーンが大のお気に入り。
すぐに笑いはおさまった。背筋を伸ばした加藤は、いくらか声を高くして言った。
「春に二人で穂高に入りませんか。前穂の北尾根と槍の北鎌尾根を、ひとつにつなげるんです」
吉田は答えなかった。拒絶したわけではない。よほど驚いたのか、眼を丸くして加藤を見返している。
白き嶺の男
こちらの作品も加藤文太郎がモデルになっていますが、事実とはほとんど関係なく物語が描かれています。
主人公の名前は加藤だけれど、実際の加藤文太郎とは切り離したまるきりの別人の物語として内容を楽しむことができるので面白いです。
主人公加藤とパートナーの久住が冬季滝谷に登る場面が好きです。
「本当のことをいうと、雪が怖いからかもしれんな…。大量の積雪をみると、ぞっとするんだ。深い雪をラッセルしていると、ときどき逃げ出したくなるほど恐ろしくなる。こんな雪に埋められたら、とてもたまらん、とな。だから一秒でもはやく逃げだしたくて、必死でラッセルする」
久住はじっと加藤の顔をみていた。気のせいか、雪の下から掘り起こした西城の死に顔と、炎をみている加藤の横顔が重なってみえた。
山岳エッセイ
山に関するエッセイをご紹介します。
正確にはエッセイという分類には属さない本もあるのですが、うまく分類できなかったので悪しからず…。
山小屋主人の炉端話
各地の山小屋主人の、山小屋の仕事や山で起きた不思議な現象、自然の驚異など、様々な山に関する語りを集めた作品。
なるほどなあと感嘆したり、本当の話?と疑ってしまったり、時にはクスリと笑えたり、山に住んでいるからこそ体験できる数々の出来事が綴られていてとても面白いです。
嘉門次小屋の主人の語りがお気に入り。
放っておくと、(木の丸太が)河童橋まで流されていってしまう。流れていくだけならいいが、激突して橋を壊さないとも限らない。
「上高地の主、上條嘉門次の曽孫、薪材の丸太を流し、失敗し、河童橋を壊す」などという見出しの新聞記事が頭をよぎる。よけい焦ってしまう。先祖の顔に泥を塗ってしまう。そうなったら大変だ。追いかけようと急ぐと、水流に足を取られてバランスを崩し、また転んだ。焦れば焦るほど何度も転んだ。
山怪
山と人が密接して生活していた時代にたびたび起こった山での奇妙な現象を、実際の取材に基づいて書かれたお話集。
読んでみれば、現代社会ではもう見られない「山怪」 という山に潜む”何か”の正体が何なのか、もしかしたらわかるかもしれませんよ~。
現代ではもはや遠い昔話化している、狐火のお話が印象的です。
「キツネがぴょんと跳ぶのが凄いものなあ。そして尻尾をくるくる、くるくるって回すんだぁ。そしたらそのたびにベロベロベロベロって光るんだ。あれは見たもんでねえと分かんねえ。見事なもんだったよ」
黒部の山賊
こちらも山岳図書の名作です。
お話の舞台は、戦後の北アルプス黎明期。
水晶小屋、三俣山荘、雲ノ平山荘、湯俣山荘の最初の経営者でもあった筆者が、娯楽としての登山が定着していなかった当時、北アルプスに住みついていると恐れられていた山賊たちと出会い、ともに北アルプス最奥の地で生活を送るお話です。
山賊たちと過ごした数年間の出来事がたくさん綴られています。
とても面白く、この本がきっかけとなって、わたしは3年前に物語の舞台である裏銀座の山々を縦走しました。
今ではすっかりなじみのなくなった北アルプスでの「猟」の話が好きです。
鬼窪は飛び上がりざま、いきなり一発ぶっぱなしたが、はずれてしまい、熊は猛烈な勢いでこちらに向かって跳んできた。彼は鉄砲をかついで、
「ぶっぱずしたーッ、たすけてくれーッ!」
と叫びつつ、これまたすごい勢いで跳び下りてきた。
倉繁が急いでかけ上がったときには、熊は三十メートル先をこちらへ向かっておそってきた。(中略)あまりに突然だったので最初の三発は急所をはずれてしまい、最後の一発を、ほとんど熊の身体に押しつけるようにして射止めた。
新編 黒部の山人
黒部の山賊のひとりである鬼窪善一郎さんの語りです。
長野の方言がふんだんに使われているので個人的には愛着がわく一冊。
『黒部の山賊』の寄稿にも書かれていましたが、『黒部の山賊』のサイドストーリーとして読めばより面白いと思います。
ボッカの話が衝撃的でした。
それから、なんてったってえらかったのは槍の小屋の資材だわい。いちばん重かったのが梁、あれは長さ三間だったかな、山間半だったかな、それで目方は百キロあるんだから、とにかくえらかった。肩へ背負子の紐がめり込んで、目がチラチラしたよ。一人で背負ったんだから、急な斜面をガニ(カニ)の横這いでもって背負ったんだから。誰も背負う者ねえんだもの、やだってこいて(いやだって言って)。
新編 単独行
加藤文太郎本人によって、彼自身の山行や登山に対する意見が述べられている本です。
現代ではまるで伝説の人物かのようになっている加藤文太郎が、実際にはどのような人であったのかを少しだけ知ることができる本だと思います。
1930年の冬季立山行の時、途中で出会った東京大学スキー登山部の4名とガイド2名が剱沢小屋で雪崩に遭い、帰らぬ人となった事故について本人の心の内を晒している「一月の思い出」という章にはぐっとくるものがあります。
今なら冬の立山がなんだと思っているが、あの頃にはほんとに心細くて、経験の深いあの人らについていないと危険だとさえ思い、できるだけあの人らの気を悪くすまいと思っていましたから、決して反抗的にしたのではなかったので、自ら慰めてはいますが―。
新編 風雪のビヴァーク
大正11年から昭和24年に生きたクライマー、松濤明自身による山行の記録集です。
クライミングが中心の山行が多いので、クライミングの類をやったことのないわたしにとってはよくわからんなと思うところも多々ありましたが、それでも登った本人が書く文章というのは臨場感があります。
この本の最後には、松濤が風雪の槍ヶ岳北鎌尾根で最後の力を振り絞って書いた遺書も載っています。
壮絶です、身震いします。
(ちなみに松濤の遺書が書かれた実際の手帳は、長野県の大町山岳博物館に展示されています。)
まるで小説みたいなところもあったりして、文才もあるんだなあと感じます、天は二物も三物も与えるのね…。
孫人トップ、夏通り右縁にルートをとり、ハーケン5本、1時間費やして広場へ上がる。まだらに氷を鎧ったCフェースが目一杯に立ちはだかり、高々と陽をさえぎる。それは凶猛な神の姿といおうか。わたしたちは聖壇に上がった犠牲者のように小さく弱々しくみえた。
私の北壁
新田次郎の『銀嶺の人』の主人公のモデルとされている、登山家の今井通子さんが書かれた本です。
世界三大北壁を女性としては世界で初めて登攀した彼女の、幼少期からマッターホルン北壁登攀成功までの記録が書かれています。
"女性登山家"としての苦労も多く綴られているため、女性には共感できる部分も多いと思います。
医師でもある今井さんの文章はとても読みやすく、時が経つのも忘れて読み入ってしまいました。
地球に飽きたらず、宇宙までも制服しようとする人間の心は、しょせん自然のもつ未知への憧れにすぎないのではないだろうか。とすれば、一般の人々の未知への探求の場として、常に移り変わる山や海は、本来、正当な人間活動の対象として考えられていいはずである。しかし、現在の日本では、山登りというと、遭難という言葉が頭から飛出すように、山へ行くこと自体がまるで社会悪であるかのように避難されている。悲しいことだと思う。もっと自然を素直に受入れることができないのだろうか。
続・私の北壁
『私の北壁』の続編です。
マッターホルン北壁登攀に続く、グランド・ジョラスとアイガー北壁登攀の記録が書かれています。
『私の北壁』は今井さんの生い立ちなども多く書かれていましたが、こちらはアイガーとグランド・ジョラス登攀の記録に限定して書かれています。
ちょこちょこと入っている笑い話がすごく面白くて、わたしの中で大好きな一冊になりました。
今井さんの山に対する考えにも少なからず共感できる部分がありました。
しかし、山という自然は、そんな簡単に、その全容を人間にはあかしてはくれないものだ。同じ山の、同じ道でさえ、登るたびに、そこにはいつも目新しいものが待ちうけている。その道が違ったらなおさらのこと、さらにそれが、新しい場所であれば、この山は想像することもできなかった別の魅力を展開してくれる。山とはそんなものだと思う。だから私はそれを見たい。
山登り12ヵ月
アウトドアスタイルクリエイターの四角友里さんが、四季折々で楽しんだ様々な山行を綴った本です。
「(程度の違いはあれ)自分に挑戦する精神的活動」という従来の登山の型を破り、登山を食とつなげてみたり、ファッションとつなげてみたりというような、新しい山登りの楽しみ方を教えてくれる本です。
山登りにおいて「自然と親しむ」ということは全ハイカーの目的の1つだと思いますが、それ以外の目的は各々で異なっています。
この本を読むと、その部分の発想が広がるんじゃないかと思います。
四角さんの一風変わった山に対する考え方にはいつも驚かされます。
怖さの嵐が過ぎ去ったころ、一喜一憂していた自分になんだか笑えてきた。情けなさや厄介な状況を、笑いに変える心の余裕をどこかに持てたらいいんだろうな。恐怖心とも仲よくならなくては。きっと山だって、いやいや歩かれてもいい気分はしないだろう。
山の勉強
登山や山について勉強するために買った本をご紹介します。
勉強山でお泊り手帳
ファッションモデルでもある仲川希良さんが、山でお泊りするときのノウハウを書いている本です。
女性が書いたお泊り山行の本ってなかなかないので貴重だと思います。
普段のようにはいかない山でのスキンケアとか、安眠のコツとか、朝の準備の仕方とか、女性ならではの視点で書かれているので女性にはとても参考になる本です。
この本を読めば今すぐにお泊り登山に出かけたくなりますよ。
お泊りしないと見ることのできない山の夕暮れや、朝焼けの時間もすてきです。本当の暗闇に包まれる夜、すべての始まりを感じる朝。太陽とともに眠って、目覚める、その健やかさ。山での出会い。山でのおしゃべり。大切な人といっしょに過ごす時間もどこか少し、特別です。いつもより優しく、いつもより正直になれる、そんなひととき。
この本は、私が山でのお泊りをするようになって知ったことや気づいたことを、ぎゅっとまとめたものです。
一歩ずつの山歩き入門
わたしが本格的な登山を始めた頃に買った本です。
運動が大の苦手だった著者の四角さんが、どのようにしてテント泊山行もできるくらいになったのか、四角さんの試行錯誤が全て詰まっています。
この本に紹介されているのはほんの小さな工夫ばかりですが、その積み重ねが快適な山登りにつながるんだと気づかされた一冊です。
山登りをこれから始める人と、女性ハイカーに激おすすめ。
山や森のなかで数日を過ごすと、必要と思っていたものが実は不要だったことに気づかされたり。生きる上で、何が本当に大切なのかを考えさせられたり。ひたむきな動植物に力づけられ、自然の厳しさに自分の無力さを知る。そして、そんな自分も「自然の一部」、そう感じられるようになりました。
山から持ち帰られる、たったひとつの「胸の中に残るもの」。感謝を胸に、いつも真摯に対峙できますように。多くの女性が、あの自然と出会えますように。
トムラウシ遭難はなぜ起きたのか
2009年に北海道トムラウシ山で実際に起きた、トムラウシ山遭難事故の原因について言及している本です。
実際に起きた事故から学ぶことは非常に多いです。
主に低体温症について詳しく書かれているため大変勉強になりました。
やってはいけない山歩き
登山入門の本ですが初めから遭難について取り上げているのが特徴です。
日帰り登山や低山・里山登山でも遭難事故が発生しているという事例を挙げながら、どのような準備が山岳事故を防ぐのかについて書かれています。
「ネット情報をうのみにする」「スマホ地図だけで安心してしまう」などの現代登山における危険性も説いているため、山登り初心者以外の方でも勉強になる本だと思います。
安全登山の基礎知識
「山の知識検定」の参考書に勧められている一冊です。
わたしも検定を受ける時に買いましたが、検定を受ける予定のない人でも読んで損はない本だと思います。
リスク管理ってわかっているつもりでもいつの間にか忘れていたり、間違った知識に塗り替えられていたりするので、定期的に読み直しておきたい本です。
やさしい山のお天気教室
山の天気を読みたくて、その勉強のために買いました。
天気について学びたいと思っても、一般的な気象の専門書は素人にはとても難しい内容であることが多く、なかなか手が出せませんよね。
しかしこの本は、著者の栗澤さんが「素人でも楽しいと思える山の天気の入門書を作りたい」という思いで書かれた本なので、素人でもわかりやすく、かつ楽しく読むことができます。
どの章から読んでも大丈夫というところがポイント。
目次を開いてみて、自分が気になった章から読めるのでとても楽しいです。
天気についても基本的なところを抑えることができる本だと思います。
萩原編集長の山塾
山と渓谷の編集長である萩原さんが書いた登山のノウハウ本です。
人の工夫を学ぶのって本当に楽しくて、特に萩原さんのような登攀もやる本格派ハイカーの知識が得られるのは大変貴重だと思います。
わたしはこの本で自分が身につけた技術のおさらいをし、それに+αのちょっとした工夫を学びました。
日比野鮎美の山ごはんレシピ
"山ごはん"漫画でお馴染みの『山と食欲と私』に出てくる山ごはんだけを集めたレシピ本です。
簡単なものから上級者向けまで、色んなレベルの山ごはんレシピが載っています。
いくつか試したことがありますが、どれもとても美味しかったです。
山ごはんのレパートリーを増やしたい方にお勧め。
まだ読んでない本
実はまだ読んでいない本がいくつか手元にあります。
読み終わる前に気になる本を見つけては買う、を繰り返しているので、どんどん本が溜まっていくのです…。
以下のまだ読んでない本も、読んだらこっそり上の紹介に追加しておきたいと思います(笑)
狼は帰らず
森田勝という登山家の生涯を描いたノンフィクションの物語です。
中古なのでほのかにたばこの臭いがする本…(笑)
ぺらぺらとめくっただけでもとても面白そうなので読むのが楽しみです!
先導者・赤い雪崩
『先導者』『赤い雪崩』を含む新田次郎の8作品が収録されている本です。
あらすじを読んだだけですがいかにも新田次郎らしいお話っぽい。
こちらも読むのが楽しみです。
氷河と萬年雪の山
閉店する直前の古本屋さんで見つけた本です。
著者が小島烏水とあってすぐに手に取りました。
古い本はわくわくが倍!
早く読みたいです。
孤高の道しるべ
何かの本の参考図書的に紹介されていて気になったので購入した本です。
Amazonの中古ですが高かったです、(笑)
歴史の本みたいで読みにくいですが、ゆっくり読んでいこうと思います。
わたしの山旅
これも古本屋さんで買ったもの。
槇有恒という登山家による著書です。
この本に出会うまで槇有恒という人物を全く知らなかったのですが、調べてみると、隊長として日本隊のマナスル初登頂を成功させたり、日本山岳会会長を務めたりと、近代アルピニズムの開拓者であるとのこと。
ますます気になります、早く読みたいです…(笑)
最後に雑談
わたしは、お気に入りの本は手元に置いておきたい派の人間です。
好きな本は何度も読み返すし、逆に読み返したいと思えない本は買ってもすぐに売ってしまいます。
以前は本を買うと言ったら新書一択でしたが、最近では安さに負けて中古の本もばんばん買うようになりました。
…新書って本当に高いですよね。
今のペースで新書なんて買ってたら簡単に破産します…。
だからAmazonの中古本とか古本屋さんはとても重宝してますね。
自分が読む前に先に誰かが読んでいようが、本の価値が下がるわけではないと思います。
表紙が焼けていても擦れていても、読めれば何だっていい。
気に入った本は好きな時に読み返すために、自分の本棚に置いておきたいのです。
好きな本が並んでいる本棚の隣で生活するだけで幸せになれます(^q^)
ところで、まだ読んでいない本が手元にあるのに、新たに読みたい山岳本がまだまだたくさんあるのが困りものです。
特に新田次郎は地元出身の作家というのもあって、ほとんどすべての作品を読みたいと思っています(笑)
『剱岳点の記』『扶養の人』『八甲田山死の彷徨』は読もう読もうと思って全然読めてない代表。(笑)
あとは植村直樹の『青春を山に賭けて』とか、上條久枝の『ウォルター・ウェストンと上條嘉門次』とか、群馬県警本部の『この山に願いをこめて』とか、安川茂雄の『ひとりぼっちの山』とか…読みたい山岳図書を挙げればきりがありませ~ん。
わたしは速読とは縁のない超遅読者なので、これらの本を読める日はいつになることやら…。
焦らずマイペースに読んでいきたいと思います。
もし山に関する本で「これはおすすめ!!」みたいなのがあったら是非教えてくださいね(∩´∀`)∩